Yは某書店の仕入れ担当チーフ。読書の秋を迎えて、一本しっかりと筋の通った新し
いコーナーを作るべく、関連書籍をあちこちのカタログから一生懸命に調べ上げた上
で、各版元に注文を出して取り寄せた。お客様に「へぇ、こんな本も出ていたんだ」と喜
んでもらいたいと、日ごろまず見ることのない小出版社や地方出版社の書籍も積極的
に仕入れたので、品揃えでは他店にはない彩りを出せたつもりだ。ブックフェアを名乗る
ほどの大型企画ではないから、スペースそのものは小さいが、なかなか気の利いたコー
ナーに仕上がったと思う。あとはお客様の反応が楽しみだ。どうかよく売れますように
……。
翌日の午前中。ある中年の男性が熱心にコーナーにたたずんでいる。時折本を取り
上げては、傍らに立つ秘書らしき女性に表紙を指さしながら何やら講釈しているようだ。
すでに三十分も前からこのコーナーを離れない。あんたが手に取った五十冊ほどの本
のうち一冊でも買う気はあるのか……。するとその時、二人がレジに歩み寄ってきて、
「秘書」が落ち着いて口調でこう言った。「すみません、あのコーナーの本、全部欲しい
んですけど、いくらぐらいになるか、今ざっと計算してもらえないでしょうか」……。
仕入れを含めた準備に約一ヶ月、ディスプレイに昨日半日を費やして作ったコーナー
が、開店一時間後の一人の客によってめでたく買い上げられた。これだけまとめ買いす
るのだから少しは勉強してくださいよ、とやんわり迫られて、端数の何千何百円かはサー
ビスせざるを得なかった。けれども支払いは後払いらしく、手渡された名刺の会社まで
月末に集金に来てほしいとのことだ。「申し訳ないんですけど配達もお願いしますね。
ああ、そうだ、少しは内金を入れときましょうか?」───。
商売人にとって、商品が売れるのは、うれしいことに決まっている。ところが、贅沢な
悩みなのだろうが、売れた額面分ストレートに喜べないこともあるのだ。たとえば今の
Yの場合、くだんの中年男性が登場せずとも、一人一冊でもいい、数多くのお客様が少
しずつ買ってくれればそれでよかった。Yがこのひと月ほど新しいコーナーを作ろうと脳
裏にイメージしていたのは、まさにそういう光景ではなかったのか。レジに入る金額は
結果として同じでも、この店で気に入った本に巡り会ったと感じるお客様の数が一人な
のか数十人なのかでは、その後の商売を考えると決定的な差となる。
ストックがあって即座に補充可能な商品。それが流れるように売れていくのが物品販
売業の理想に違いない。逆にわずかしか在庫がない目玉商品なら、しばらくの間は売
り場の「華」となってもらいたいではないか。残念ながら本の場合、特にここ沖縄では、
大体が入荷に時間がかかりすぎるから、同じ品揃えを再構築するのは面倒このうえな
い。けれども知ってか知らずか、よりによって手塩にかけたそんな目玉商品ばかりをま
とめて買っていくお客様がいる現実。しかも並べたその日にとなれば、そのお客様に罪
はないとはいえ(いえ、むしろ感謝しないといけません)、うれしさにトロリと徒労感の
ベールがかぶさる。
うちもそうなのだが、古本や中古レコードを扱っている店では、「同じ品揃えを再構築
する」のは、面倒に先立って可能性そのものが薄い。それをしっかりわきまえている中
古レコード担当の店員が、ある日私にこう告げた。「良質な個人コレクションを一括で
仕入れることができた場合、小出し小出しにしていきましょう。いっぺんに陳列すると常
連の○○さんや★★さんあたりが買い占めてしまいます。彼らは眼が肥えてますし、こ
んな場合には決してお金を出し惜しみしませんから」
不特定多数の客を喜ばせたい方針の裏に、今度はいつお目見えするかわかりはしな
い優品の数々が並んだ一角を、しばらくは自己満足気味に眺めていたい、という担当者
の思いもかすかに読めた。自分が客でもこれなら絶対興奮するよ、などと、ちびまる子
のようにつぶやきながら浸っていたい気持ちは、確かによくわかる。私も何度似たような
気持ちで、自店の郷土コーナーを見つめたことだろうか。
(『琉球新報』1997年11月1日朝刊文化欄)
商品の販売価格という点において、原則として正札通り(定価販売)の新刊書店に対し、
古本屋と呼ばれている商売は非常に自由である。定価からどれくらい割り引けば売れる、
という大まかな相場はあっても、厳守すべき約束事ではないから、店舗の立地や店主の
好みなどに左右されて、同じ本が店ごとに売価が違っていても何ら不思議ではない。A書
店では定価の半額の本が、B書房では名著で絶版本であることを理由に、定価の倍額
で売られていた例すら珍しくないところにも、この商売の自由さがうかがえよう。人はこれ
をいい加減さと言い換えるかもしれないが。
わが「BOOKSじのん」はとりあえず古本屋である。けれども最も力を入れている奄美・
沖縄関係書については、多少注釈が必要らしい。というのも、このコーナーにも文庫本
やコミックと同様なディスカウント性を期待して来店する客が、少数ながらまだいるからで、
ある男性客など見込み違いに微かなお怒りの表情を見せたほどだ。「あれ、半額じゃな
いんだ」「古本屋なのに定価で売っている本もあるんだね」「ちょっとちょっと、この本の売
値、ひと桁まちがってない?」…………こういう疑問には丁寧に対応していかねばなるま
い。
正直に申し上げて、当店のこのジャンルは全体的に売価が高めになっている。定価の
半額などまずありえず、せいぜい2割から4割引きが目安である。それに定価で売って
いる新刊書や、定価よりはるかに値の張る品切れ・絶版本も数多く含まれている。要す
るにセールスポイントは安さではない。あくまでも品揃えなのだ。それもアダルト雑誌や
100円均一本のそれとは異なり、特定された書名や著者名で本を探す客を想定した品
揃えであるから、単にいろいろあればよいわけではない。比嘉春潮の『沖縄の歴史』を
求めてきた客に、それはないけどこれではいかが? と仲原善忠の『琉球の歴史』をお
渡しして、気が利くねぇと喜ばれる、わけなどない。
あれば安いが、なかなか欲しい本がない店よりも、多少高くても、そこに行けばだいた
い何でも揃っている店を目指してきたことが、結果として公共機関をはじめとする顧客の
信頼にもつながり、奄美・沖縄関係書コーナーは当店の看板と認知されるに至った。
買う客の立場で言えば、高いより安い方がいいのは至極当たり前。その方が売れる
速さも違う。しかし商売なのだから、安く売るためにはより安く仕入れなければいけない
道理。そんな「W安」サイクルでお望みの本の補充が切れ目なく続くのならバンバンジー
であるが、そうそう思い通りにいかないのが中古品業者特有の弱みなのである。
安さにも節度があるはず。客が興奮し同業者が驚くほど安くして飛ぶように売れたとし
ても、その後に残ったスカスカの棚で翌日以降の商いは大丈夫であるか。その棚をあら
ためて魅力ある商品で埋めることの困難さを予測できない業者は危ない。「俺達に明日
はない」と粋がる前に、「古本屋に卸問屋はない」ことを肝に銘じておくべきだ。店じまい
セールではないのだ。明日もあさっても、商売人は未来永劫我が身がくたばるまで、食っ
ていくためには売り続ける以外にない。高すぎて客がつかない店も困るが、安すぎて売
るものがなくなった古本屋は、同業者の眼で見ても哀れである。
(『ワンダー』第24号 1998年7月)
古本屋だから、もちろん古本を売るのが仕事であるが、たまには捨てに行くこともある。
極度に痛んだ本、汚れた本、内容的にすでにトウがたったもの(昭和時代のホーム百科、
去年の星占い本、芸能界アイドルの自伝、等々マンディグヮサグヮサ)。それらを一般家
庭と同じく「燃えるゴミ」もしくは「資源ゴミ」の回収日に店先に出せれば楽なのだが、うち
の場合は企業系ゴミとなってしまうので、自分で捨てに行くわけだ。場所は南風原町にあ
る某紙業工場。廃棄本を業務用ワゴン車の荷台に積み込んで、月に何度か出向く。本を
捨てる人は私たちだけではない。時折、何でこんなの捨てるの?と思うような本や雑誌を
見つけることがあって、しっかりちゃっかり戴いてしまう。捨てる紙あれば拾う紙あり、なの
ですな。
ところで先月、古本ではない新本を、しかも沖縄本を、大量に捨てざるをえない事態が
生じた。2トントラックで2回分もの新本を捨てるという経験はもちろん初めてのことである。
以前は再生紙の原料としてキロあたり何円かで買ってもらえたので、これだけの量だとけ
っこうな現金を手にできたはずだが、現在は古紙のダブつき現象でタダなのは何ともうら
めしい。うちの店は奄美・沖縄関係書なら、硬から軟、右から左、ピンからキリ、とにかく
何でも揃える主義だから、普通ならこのジャンルである限りちゃんとより分けて商品化して
いる。たたき売りをすることはないし、ましてや捨てることなどありえない。それなのにあえ
て捨てなければならない事情とは何か。
たまたまある機会に、県内某出版社の30坪ほどの倉庫に積み上げられた商品の一括
処分を依頼された。量も量だが、問題はその中身のありようである。個人の蔵書なら、四
畳半の書斎に並んだ分量で一冊の古書目録を編みたくなる場合もあろう。けれども相手
が出版社ともなれば、事情はまったく異なる。何しろ1タイトルだけで1000冊もあったりす
るから、「30坪ほどの倉庫に積み上げられた商品」は、種類にするとそれほどバラエティー
に富んだものではなかった。
10冊ないし20冊で一包みのブロックを積み重ねた、胸の高さほどのタワーを数人がか
りでいくつも崩しながら、本を運び出す。確実に利が見込めそうな売れ筋タイトルの合間
合間に、過去の商売の経験上10冊もあれば向こう数年はストックとして十分すぎると思え
るような非売れ筋タイトルも顔を見せる。売れそうにない商品をあえてまるごと抱えることは
ない。欲しい本だけでも一小売店に過ぎない当店にすれば常識はずれの量なのだ。こうし
て保管スペース確保の難問に対して出した答えが、本を捨てる、という二重に悲しく無駄な
作業であった。私が・棄てた・沖縄本……。恨まないでくれよ。
今や紙業工場もいやがる古紙の大量投棄とあって、先方から「今回を最後に、以後受け
入れ不可」の通達を頂戴したのも、とても痛かった。捨てたい本など毎日のように入ってく
る。これからは逆に金を出して引き取ってもらわなければならないのか。新刊書店は売れ
残りを「返品」する解決策があるが、あいにく古本屋にそういう手段はない。ましてや出版社
は、制作部数と販売部数の適正関係を見誤った場合、紙ブロックの巨大なタワーと同棲す
るハメになる。仮に某かの換金化をあてにして古本屋を呼びつけても、彼もそんな一括買い
入れにはしり込みする可能性が高い。腐らない商品とはいえ、缶詰などと違って毎日自分
で食べて減らせるものでもなし。
今回の経験を通して古本屋の、あるいは出版社の、適正在庫について思いをめぐらさな
いわけにはいかなかった。沖縄の出版社はこのあたりどういう対策をとっているのだろうと、
野次馬的に考えてしまうのである。
(『ワンダー』第25号 1998年12月)
沖縄本を販売する仕事をして十数年がたった。私たちの手を通過してお客様の所有
となった沖縄本は、それこそ数え切れないほどの種類となるが、そのなかでもエピソー
ドに事欠かないのは『沖縄大百科事典』である。定価五万五千円の高額商品であるに
もかかわらず、その筋から聞いた話では三万セットがはけたという。しかもそのうちの
約九割は刊行前の予約部数というからすごい。私も学生時代に前金予約特価の四万
円を支払って購入を申し込んだ一人だ。一万五千円の差額だからずいぶんお得とはい
え、まだ見ぬ商品に学生の身で大枚四枚を投じたのは、この企画に少なからぬ期待を
寄せていた証拠。事実この事典はその期待を裏切らない完成度の高い出来映えであ
った。事(辞)典は引くものではなくて読むものだ、という名言をこの本で初めて実感した
人も多かっただろう。
さて、物語の第二章はここから始まる。刊行後しばらくたってから、古本屋に『沖縄
大百科事典』を持ち込む客の姿が目立つようになった。それはほとんど「義理買い」を
した人のようだった。版元の沖縄タイムス社にしてみれば社運を賭けた大企画だから、
拝み倒された社員の親戚や友人がいたとしても不思議ではない。それとは別にこれを
ビジネスチャンスととらえた外部の販売業者が、大量に仕入れたものの予想したほど
には売れずに(何せ「義理買い」も含めてあれだけの予約者がいたのだから)、仕方
なく古本屋で換金する場合もあった。
その後さらに予期せぬ出来事がおこる。版元の沖縄タイムス社が日頃お付き合いの
ある書店に対し、「最低6セット以上、現金払いで」という条件(だったと記憶する)を満
たせば破格の掛け率で卸せる、と提示してきた。ちなみにそれは定価のほぼ三分の一
の値段であったので、それまで客から仕入れていた金額よりも安いくらいだった。ああ、
なんと哀れな『大百科』! あとで聞いたことだが、制作部数決定の最終時点で予約部
数にどれだけ上乗せするかという読みがはずれたらしい。つまり総部数の約一割にあ
たる三千セットをさばくのが思いのほか困難で、泣く泣く下した決断のようだ。そのとき
同社は次の大型企画である『沖縄美術全集』に取りかかっていて、その予算確保上の
理由もあったろう。企業の論理の前では良書といえども容赦ない。周囲の期待を一身
に受けて幸福の星の下に生まれながら、のっぴきならぬお家の事情で里子に出された
王子様にも似て、商品としての『大百科』の価値は暴落した。その頃、沖縄の古本屋に
おける『大百科』の売値相場は三万から三万五千円ほどだったが、客引き用に二万円
台の価格をつける店もあったりで、業者間でダンピング合戦をも辞さない雰囲気すらあっ
た。こうなれば客もさるもの、あるとき「勉強仲間でまとめて買うので安くして」と交渉して
きた琉大の学生がいて、彼がかき集めてきた現金二十八万円と当店の在庫十セットが
入れ替わったこともある。
あれからさらに年月が流れた。現在は物語の第三章である。里子に出された王子様
は強くたくましくなって帰ってきた。沖縄タイムス社に『大百科』の在庫がなくなった時点
を境に、古本屋においても定価で販売できるほどまでに商品価値が回復した。かつて
投げ売りしたことを悔やむ思いもあるが、利益がなかったわけではないし、あのように
余剰分をさばいたからこそ現在の価値の回復があるとも言える。元来あれだけの質と
ボリュームを兼ね備えた事典である。改訂版を作る計画が具体的に浮上しない限り、
今後も需要が途切れることはあるまい。結局『沖縄大百科事典』は、昔も今もこれから
も、足を向けて寝ることができない堂々たるエース商品なのであった。
(『ワンダー』第27号 1999年10月)
飲みに入った店のビールがオリオンならば、ビールは飲まずに、はなからウイスキー
を注文する、という男の話を聞いたのはもう15年くらい前だろうか。いや実は、沖縄サ
ントリーに就職した同級生のことなのだが、愛社精神のあまりの徹底ぶりに、宜野湾
のシティーボーイたちは驚きもしたし笑いもした。僕らには当時オリオン以外のビール
を出している店なんてあるとは思えなかったし、スナックで飲む酒といえば「オールド」
や「リザーブ」が幅を利かせていた頃である。だからこそ、そのエピソードはおかしくも
妙に現実味を帯びていたのだった。
今でこそ、生のバドワイザーをジョッキで飲み干した後、泡盛の古酒を注文してみる、
などという組み合わせも楽しめる時代ではあるが、オリオン以外のビールが飲める店
がそれだけでお洒落に感じるのは、その圧倒的シェアが依然揺るぎないことの逆証明
なのである。スイカに塩を少しまぶして食べるとより甘く感じるものだ。
飲み屋とオリオンビールの関係ほど強力な結びつきでないにせよ、沖縄の書店もま
ず間違いなく県産本のお世話になる。せっかく地元で本を作っているのだし、委託販
売でもいいのだから利用しない手はない。しかもここ沖縄は、本にする素材の豊富さ
とビジネス上の採算性が合致して、県産本イコール郷土関係書、という大変わかりや
すい図式が成り立っている地域である。それがすなわち「どの本屋にも必ず郷土コー
ナーがある」理由なのであって、県民すべてが郷土に高い関心をもっている現れ、で
は必ずしもない。十指に余る出版社が毎年「これでもか、これでもか」と沖縄本ばかり
を作るのだから、労せずしてとりあえずの形はできてしまう郷土コーナーに、ではどう
やって独自の色づけをするのか。ここが沖縄関係書で勝負したいと考えている書店
の腕の見せ所となる。
地元有名どころの発行書籍はもちろん、本土大手出版社のキャンペーン本とか時
期的な話題作は、いわばオリオンビールみたいなものだ。仕入れやすく一定量確実
にさばける。郷土コーナーはそれだけで良しとする書店も多いだろう。そのレベルを
突き抜けたい書店も、それらを棚からはずすわけではない。「へい!エビス」と言って
みたい飲み屋のおやじの取捨選択ではなくて、「オリオンもエビスもキリンも」と欲張
る酒屋のあるじの無節操さに学びたい。その上に、地域限定ビール(地方出版物)や、
どぶろく(自費出版本とか非売品とか)や、百年ものの古酒(稀覯本)なども置きたい
と夢想にふけるのが、この地で生かされている古本屋の郷土コーナー展開戦略と言
えようか。
現在月一回の掲載契約を結んでいる『琉球新報』朝刊一面の「今週の本棚」欄は、
沖縄関係専門書店のカラーをなるべく尖って出すように心がけているため、原稿作り
に神経を使う。業界用語で八ツ割りと呼ばれる八書店(時折出版社を含む)連合の
広告なのだが、狙い目は「他店が扱ってないものを」か、そうでなくても「他店に先駆
けて」……。この欄で一緒の首里の三星書房さんは、やはり意欲的に沖縄本だけを
載せているので気になる存在である。目下最大のライバルとして、いつも意識して
チェックしている。
過日、版元の沖縄地域ネットワーク社から納品された『魚まち』通巻第12号を開い
て驚いた。最終ページに「『ブックスじのん』で再出発」と見出しの付いた、当店の店
名変更の情報を割り付けていたからだ。以前、さきほどの八ツ割り広告で「へい!
『魚まち』」とばかり、威勢よく同誌の存在をアピールしたことがあったけれど、そのこ
とに対する返礼なのであろうか。ありがたいことだと思った。こういう友好関係を大切
にしたいのである。
(「沖縄県産本ニュース」第13号 1997年7月)
書評 『エイサー360度』(沖縄市企画部
平和文化振興課編)
「エイサー祭り」のようなイベントの定着や、保育園から大学にいたる教育現場での
エイサー教材化など、場所や季節を問わずエイサーに接する機会はぐんと増えてきた。
かつて閉じた世界で演じられてきた踊りが、元来の約束ごとから次第に解き放たれて
「見せる芸能」の性格を強く帯びるにつれ、踊る側も見る側も、シマごとの踊りの相違
やその前提となるエイサーの起源と展開に関する知的欲求は高まるばかり。だが意外
にもエイサーを解説した本は、研究論文のようなものを除けば、長い間琉球新報社の
『沖縄大衆芸能 エイサー入門』一冊きりだった(本屋に勤めているのでよくわかる)。
時代の要請を受けた新たな文献の誕生が待たれていたのである。
本書はそれに応える最新の成果である。沖縄市三十二字のエイサー調査報告を核
に、本島全域、周辺離島、両先島、奄美諸島、首都圏、関西、海外、創作エイサーま
で網羅するものすごい情報量を盛り込んだ一大参考文献となった。音楽・芸能学の専
門家を擁して、各地のエイサー演舞を比較・分析するポイントを明確に提示しているの
も本書の特徴で、巻頭に据えられた小林幸男の論考「エイサーの分類」はその好例。
また岡本純也「戦後沖縄社会におけるエイサーの展開」は、1956(昭和31)年に始
まった「エイサーコンクール」にまつわる関係者間の愛憎劇にまで踏み込みながら、現
在のエイサー隆盛につながる流れを論じた斬新な論文である。
エイサー文献を自治体(沖縄市)が企画発行したユニークさも注目されるが、市井の
出版社(那覇出版社)と契約を結び広く一般書店で購入できる流通方法を採用したの
も稀有な例である。『ロックとコザ』『インヌミから』に続き、記述内容の堅実さに加えビ
ジネス上も魅力あるカマジシくってない(いかめしくない)本づくりを成功させた沖縄市
の平和文化振興課(市史編集セクション)には、内外の関心が集まっている。今後の
地域史編集の現場にも論議をもたらすはずだ。
(『沖縄タイムス』1998年11月20日夕刊読書欄)
書評 『切ない沖縄の日々』
(高良倉吉著・ボーダーインク発行)
イチローがマウンドから投げ下ろした球がスピードガンで146キロを表示したとき、
スタンドの観客はどよめいたが、彼が強肩の外野手(しかも元投手)でもあることをア
トラクションの形で示したに過ぎない。
同じように琉球史研究におけるスラッガー・高良倉吉の、専門分野を離れて書く文
章が論理的説得性に満ちた快速球であっても、それを取りたてて評価するには及ば
ない。驚くのは、高良が同時に切れのある多彩な変化球を、コーナーコーナーに投げ
分ける技術も所持していたことの方だ。
このたび高良のその「隠し芸」を、まとめて一気に堪能できるステージが用意された。
「切ない沖縄の日々」と染め抜かれた入り口の横幕には、「行動し、遊び、ときどき学
者する高良倉吉、初のエッセー集」とのキャッチコピーが躍っている。
ときにスローカーブのように、球筋の描く美しい曲線のみで魅了する場合もあるが
(「月夜交友」「ヤンバル」など)、快速球を生み出す肩の強さは、歴史家の問題意識
の明瞭さそのものであるから、余技とはいえ指先の技巧にのみ溺れず、ときに140
キロ台のフォークボールを混ぜてみたりして(「なぜか、ホンコン」「セールスマン」など)、
読者をハッとする緊張感に陥れることも忘れない。強肩スラッガーの誕生の秘密を明
かして、将来のスターを夢見る若き才能を叱咤激励もする(「訓練日々結構」「リュケイ
オン」)。
筆者の個人的感想では、モチーフ・論理性・叙情性・レトリックの四つの要素がゆっ
たりとしたバランスをたたえている最高傑作は「ユイムン」だと思った。歴史家に文章
のレトリックまで教えてもらうなんて、とてもくやしいのだが、相手がハッタリの人では
ないと知っているだけ、プチマゾのごとく、それすら悦びに変わる一冊なのである。
(『沖縄タイムス』1995年10月30日夕刊読書欄)
中身はろくに読みもしないのに、本のタイトルや著者名を覚えるのは好きだった大学生
の時代。文献目録類に目を通している時には、知識が確実に増えていくような気分の高
ぶりがあった。手のひらに乗った小さな窓から蕩々とした広がりを眺める至福のひととき。
形式のみを上手に覚えて中身を論ずることはしない(できない)受験勉強のようなこういう
学び方は、世の識者には昔から批判されていて、実際自らの興味や能力の偏り方を恥じ
ることも多かった。でもその後古本屋で働きだしてみて、この手の知識だけでもかなり仕
事をこなせるのを知る。目録的な情報の蓄積は本屋にとって役立ちこそすれ、決して唾棄
されるものではないとわかって、世の中における自分の居場所を見つけた思いがしたもの
だ。この仕事なら私のような者でも社会に必要とされるはずだと。
さらに幸いなことに、ここ沖縄は古本屋稼業の歴史が浅く、私が時給400円の学生アル
バイトからスタートした1980年代前半は、たいがいの雑本が定価の半額ならOKで、客が
それを「安いねえ」と感謝の目線で買って下さる好景気の時代だった。就業当時の商売上
のうぶな思いつき・アイディアも、それを積極的に実行に移すがむしゃらさが「古本の神様」
に好かれたのか、大体において店に好結果をもたらした。時給の安さは定休日なしの、場
合によっては「1日14時間勤務」でカバーする。若くて体力的にも大丈夫だったとはいえ仕
事が楽しくてしょうがないときている。加えて閉店時刻の夜11時以降も、「気」は五体に満
ちあふれていた。共に汗水流して働いていた同年輩の仲間と、自ら稼いだ万札を財布に
忍ばせて連日のようにスナックで飲んだ。学生時代には経験できなかった夜の大人の飲
み方だった。
仕事も遊びも目一杯満喫する日々。そうするうちに時給も上がり、「店長」という肩書きも
付いてくる。しょっぱなからこういう上り調子の楽しさ・喜びを経験すると、公務員になるこ
とを良しとする価値観はあっさり放棄できる。親は最初は曇り顔だったが毎日楽しそうに
古本屋に「出勤」する私を見るうちに何も言わなくなった。古本屋と喫茶店めぐりが趣味だ
った大学の指導教官の後押しにも勇気づけられた。その指導教官とはそういった縁があっ
て今でも親しく酒卓を囲むお付き合いをさせていただいている。私が一介の高校教諭とか
になっていたら、きっと卒業と共に繋がりが途切れたことだろう。
そんなこんなで私の業界歴も約20年になるが、大学を卒業してそのままストレートに古
本屋で飯を食っている男というのは、沖縄に限定して言えば今でもかなり珍しい部類に属
するようだ。この稼業を仕事として本気でやってみたいと希望する若者には、この間とうとう
一人もお目にかかれなかった。「天久さんの仕事ぶりに憧れて」なんて、自尊心をくすぐら
れるような嬉しいセリフを、一度くらいは聞いてみたかったな。
(インターネットサイト『古本横町』2001年4月26日アップ)
池澤夏樹が津田塾大学での特別講義でも紹介している笑い話(『沖縄式風力発言』p242
参照)──又吉栄喜が芥川賞を受賞したとき、選考委員の一人の某作家は沖縄の風土
のもつ非画一性にふれて、「沖縄の人々がよく口にする、日本における自分たちと自分た
ち以外の人間たちへのウチナンチュウ、ソトナンチュウといった呼び方は」云々と選評に
書いた(『文藝春秋』1996年3月号)。沖縄には「内地の人」を意味するナイチャーなる言
い方があるが、それを知っていたがために、つい「内と外」への妙な類推が働いたのだろ
うか。そういえば内南洋、外南洋という言葉も蠱惑的な響きだぞ、と下衆の勘ぐりは続く。
沖縄のことをウチナーといい、沖縄の人のことをウチナーンチュということを知った人で
も、まさしくオキナワがウチナーに、オキナワノヒトがウチナーンチュに発音変化している
点まで理解しているかは、多少怪しい。何しろカナで見れば、同じ発音は「ナ」の一字にし
か残っていないから、語源は別かと感じてしまうのだろう。
この語の変化のみ大ざっぱに(地域的な差などは棚上げにして)説明すれば、沖縄の
方言ではアイウエオの五母音のうち、エはイに、オはウに変化しているから(三母音化)、
オキナワのオはウとなる。また次の音節キは、子音Kが後続の母音iを発音するときの舌
の位置に影響を受けて、チに変化(別の例として、キモ【肝】がチム【意味的には「心」や
「気持ち」を表す】、地名のキン【金武】がチン、キヌ【衣】がチン【意味的には「着物」「衣
装」】など。似たような現象として幼児特有の軟音化を思い出して下さい)。さらにナワ
(nawa)は、母音・半母音・母音の連続部(awa)が融合=長母音化(a:に変化)した結果、
ナー(na:)に変化(別の例として、カワ【皮】がカー、地名のアワセ【泡瀬】がアーシ、など)。
よって、オキナワはウチナー。
またヒトは、詰まる音で始まるッチュで、標準語では信じられない発音をもつ語なのだ
が、これもヒト→ヒチョ→ヒチュ→ッチュ、と変化してきたと考えられる(詳細は省きます)。
以上のことから、オキナワノヒトは方言ではウチナーヌッチュが原形であり(ノは三母音
化によってヌ)、より発音しやすいウチナーンチュに落ち着いた。同様に「本土の人」を表
すヤマトゥンチュは、ヤマトノヒト→ヤマトゥヌッチュ→ヤマトゥンチュ、という変化である。
ヤマトゥが「ヤマト=大和」に対応していることは理解しやすい。方言のヤマトゥンチュを
ヤマトンチュと書いたり発音したりするのを多く見かけるが、このわかりやすさから生じた
「合いの子言葉」で、ヤマトンチューと語尾をのばす例に至っては、重箱の隅をつつくよう
だが方言としては二重に不合格。ただ話し言葉では、さげすみの気持ちをもって使われ
る場合に、往々にしてヤマトゥンチューと語尾がのびることはあるようだ。より簡便な造語
法のヤマトゥーという言葉の持つニュアンスにも通じていそうだけれども、現在頻繁に聞
かれる「ヤマトンチュー」の大半には、そういうニュアンスを云々する含みはなくて、あくま
でもドライな区分け用語として活用されている。発音の是非は別にして、お互いに交流の
豊かなこの時代にふさわしい使われ方である。
冒頭の某作家のソトナンチュウはまったくお笑いぐさだったが、今ふれたヤマトンチュー
という言い方にリズム上でも対をなすウチナンチューなる誤用例まで多くなったのは、ゆ
ゆしい事態である。基本的な対語のこういう間違いを見過ごしていると、沖縄の方言では
「人」のことをチューと言う、との誤解も増えるだろう。沖縄の方言でチューといえば「今日」
のこと。また語尾がのびないウチナでは「浮き名」になってしまう(ただし文語)。
「沖縄の人」が「浮き名の今日」ではね。『ワンダー』の読者の君、うちあたいしてない?
(『ワンダー』第22号 1997年11月)